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今日は久しぶりにサン・ファン・バウティスタ号(伊達政宗が海外に派遣した仙台藩士支倉常長を乗せた船)の話題である。サン・ファン・バウティスタ号は500トンにも及ぶガレオン船(戦艦)である。支倉はこの船(画像は石巻市サン・ファン館に展示されているレプリカ)で太平洋を横断し、メキシコに渡った。

下図で太平洋におけるおおまかな航路を確認して頂きたい。

サン・ファン・バウティスタ号は太平洋を二往復している。但し、支倉常長は全ての航路には乗っていない。メキシコに支倉らを運んだ後で、一度宣教師(仙台の大橋のたもとで殉教したカタリーナ神父を含む)を連れ、日本に戻ってきているのである。

石巻市のサン・ファン館には1614~1615と思しきメキシコのアカプルコ港の絵図が展示されている。開港したばかりの往時のアカプルコ港には建物もまばらだったようだ。

これは11月26日の河北新報に記載された1618年以降にサン・ファン・バウティスタ号のたどった新説(キャサリン・ナイト氏)である。支倉はマニラでスペイン政府にサン・ファン号を売却しているが、その後は在英スペイン大使の親戚である或る船長の手に渡ったとされる。これだけでも驚くべきものがある。

1619年にアフリカの西海岸(ルアンダ港)で350人のアフリカ人を調達し、メキシコに向かったサン・ファン号は英国のホワイトライオン号の他2隻の海賊船の襲撃を受けた。この時50~60人の奴隷を奪われたという。大砲の射撃を受けたのだろうか?サン・ファン号は船体を激しく損傷してメキシコに漂着したようだ。

ホワイトライオン号は1619年8月に英国領バージニア州に着き、食料と引き換えに奴隷約20人を売却したという。

その際の到着した場所は、これまでジェームズタウンと言われたいたが、キャサリン・ナイト氏によるとジェームズタウンから50キロ離れたハンプトンとしている。
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横町挨拶
サン・ファン館の館長である浜田直嗣氏は「サン・ファン号の米国との結びつきがわかり、サン・ファン号の歴史上の価値は更に高まることだろう今後も米国の研究に着目したい。」と語り期待を寄せています。15世紀~16世紀に於いて世界各国を植民地とし、日の沈まぬ大国と言われた海洋王国イスパニア(現スペイン)ですが、往時無敵と言われた同国の無敵艦隊が1588年8月の「アルマダの戦い」で英国、オランダ連合軍に敗れ去ったのは明確な史実です。それから31年後に英国の海賊船がスペイン船から奪い取った奴隷を売却しました。

蔭りが見え始めたスペイン、日の出の勢いを見せる英国。アメリカ史上極めて重要な出来事(奴隷の輸送)に際し、自分はそのように感じました。歴史は栄枯盛衰の繰り返しを追うことでもございます。そして、これは古今東西において当てはまる図式でもございます。本日も最後までご覧頂きありがとうございました。

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