fc2ブログ
相馬市黒木地区の相馬隆胤公首塚
27日前の5月4日に私は相馬藩第16代藩主である相馬義胤公の弟隆胤公が討ち死にをした童生渕を訪ねた。隆胤公討ち死にに関しては後に多くの考察が寄せられている。読者の皆様には大変申し訳ないのだが、何せ425年も前のことゆえ、これらの諸説はむろん特定には至っていない。何卒それを承知の上で拝読賜れば幸いと思う。画像でほぼ正面に位置するのが隆胤公の首塚のあるところである。



迷わずに首塚を訪ねるには西側からのアプローチをお勧めする。右側の建物が黒木公会堂である。これが大きな目印となることを念頭に入れて頂きたい。



首塚を突き止めるまで付近の住民数名のかたに訪ね歩いて、ようやく位置がわかった。公会堂を過ぎると北側の視野が大きく広がる。電柱の付け根の右脇にあるのが首塚である。



付近のかただろうか?隆胤公の首塚には花が添えられていた。首塚を前に私は脱帽し、深く低頭に及んだ。



家系図をご覧頂きたい。彼は相馬藩第16代藩主である相馬義胤公(赤□)の実弟で中村城の城主でもあった。



改めて彼が討たれたとされる童生渕をご覧頂きたい。隆胤公は勇猛ながら軽率なところがあったという。1590年の初夏、彼は敵兵を深追いしたが、その後反撃を受けたためやむなく中村に引き返そうとしたものの、乗馬が下手だったゆえ、この堀を越えようとしたとき落馬し、二十名前後の家来とともに伊達側に討ち取られた。(一説には弓矢で射られた。一説には槍で討たれたとも言われる)享年28歳の若さであった。

逸話として、伊達側の者に殿様の首を取られないよう、従者の小姓が自ら隆胤の首を取り、追っ手を逃れようと付近の寺に入ろうと試み、それもかなわず林に駆け込んで自刃して果てたと伝えられる。



航空写真で三箇所の位置関係を確認して頂きたい。
赤:首塚
黄色:童生渕
オレンジ:中村城
小姓は中村城に戻らず、殿様の首を抱えたまま馬を西に走らせ黒木に向かったと思われる。(童生渕と首塚の直線距離は約1.6キロ)



本日は他に①二宮尊徳の墓②黒木城(黒木氏は相馬家臣ながら伊達に二心を抱く)の取材も行ったが、本記事とは異なる内容ゆえ、また後日に回したい。
関連記事

トラックバック

トラックバック URL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)