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エッセイ「伊達者にとっての仙台」
所要があり、久しぶりに仙台に戻った。清々しいとはまさに今時分の気候を言うのだろう。私の記憶の片隅にあった春の仙台は既に過去のものとなり過ぎ去っていた。季節は春を通り越しすっかり初夏といった感じである。

後40日もすれば夏至、私は家に戻って家族と会い、ありきたりの会話を交わすと所要を果たすため、仙台の街中に繰り出した。

一ヶ月も見ぬうちに街路樹はすっかり深緑に染まっていた。半袖から出した二の腕に心地よい微風を感じた。尊敬して止まない伊達政宗公晩年の言葉「楽しまざれば是如何」(人生を謳歌せずしてどうしよう)をくれぐれも地で行かねばならない。

この境地に至るまでは多くの右往曲折があった。この境地はけして受動で獲得したものでない。スコットランドが例え独立に至らずとも、本国イングランドから大いなる畏敬の念をもって迎えられるに至ったのはその過程に於いて、スコットランドが両国の相克に一歩も引くことなく、誇り高く生き残ったからである。

己の人生を振り返るに、けして平坦な人生でなかった。思い起こせば、山あれば谷あり。私は今まで多くの戦いを経て、還暦を前にしてようやく現在のスコットランドのような立場を手に入れたと受け止めている。

仙台城は別名「青葉城」とも言われる。伊達政宗公の遺産である仙台の街はきょうも光り輝き、活気に満ちていた。開府四百数十年という長い年月を経ても政宗公の志は色褪せない。賢明な政宗公ゆえ、恐らく死んでからそのように思われることも十分想定内としていることだろう。

宮城県南部の亘理町も悪くないが、第二の故郷である仙台はいつ帰ってもいいものである。これからも私は伊達者(父母の双方の先祖が仕えた)のとして、政宗公の志に恥じない行動を己の本分と心得、その歩むべき人生を迷うことなく突き進んで行くことだろう。
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